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シーボの日記

アメリカてポスドクしています。

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手記 (2009.2)

2009.2.23 (Tue)

TAなどもようやく終わり、自分の研究に専念できる頃合いとなった。来月には二回目の学会。五月には学振(博士課程でお金がもらえる競争的資金の獲得)のための書類提出のためのお勉強もぼちぼち始めていたりする。自分がこれまで見聞きしたなかで面白いと思えるもの、あるいは不勉強で理解が及ばなかったものなどがたくさんある。もっともっと学問という海を自由闊達に泳ぎ回りたい。そうそう、泳ぐで思い出した。運動もしなきゃな、と思ってる。今日体重計に乗ったら驚愕の体重だったのだ・・・。マジでデブーボになってしまう。

2009.2.17 (Wed)

TAとかあって自分の研究がなかなか進まないので朝5時くらいに研究室にきてみたんだけどちょーねむいっす!


2009.2.9 (Tue)


この世の中のあらゆる書物も
お前に幸福をもたらしはしない
だが、書物はひそかにお前をお前自身に立ち帰らせる


 ヘルマン・ヘッセは読書に関してこう述べた。彼の「車輪の下」を読んだのは小学校高学年の頃だったと思う。僕は毎日図書館に通って、一日一冊本を借りた。一日に一冊読む、というのが至上命題であった。そのため分厚い本は敬遠していたのだけれど、ふとした気まぐれで借りたのだった。いま一度読んでみたらどんな感想を抱くのだろうか。

 そんな僕が大学生になってからというもの、ほとんど本を読まなくなった。忙しいから、他に楽しいことがあるから、人のブログで活字を補給しているから - 理由なんてあげればたくさんある。どんな理由があれども読書量というのは激減し、気まぐれに手に取った新書などを読むだけだった。そしてつい最近。何か相転移が起こったかのごとく、いま僕は本をたくさん読んでいる。書店で平積みにされているような有名どころから食指を伸ばしているところなのだけれど、日常生活に読書という行為がハッキリと加わった。電車の中、食事をしながら、寝る前の少しの時間(これが最も楽しい)、たくさんの本を読んでいる。読みきれるかどうかなんてわからない。でも、本をたくさん買ってしまう。これは研究からの逃避衝動なのかと懐疑的なところも、ある。それでもやはり読書というのは楽しい。

 読書の醍醐味というのはなんだろうか。他人が考えた過程を撫でながら楽しむエンターテイメントな要素もあるだろうし、自分の経験と照合させて感情的な共感を行うこともできる。あるいはいまいち垢抜けない自分の人生のカンフル剤として、読書はそこにあるのかもしれないし、作家が流麗に言葉を繰ることをじっと眺めるものなのかもしれない。ある人にとっては単に暇つぶしの道具であろうし、またある人にとっては知識や手法の蓄積であるかもしれない。

 休日の大型書店は人で溢れている。人と人とが狭い本棚の間隔を縫うように、あるいは肩を擦らせるようにして本を読んでいる。とある女性はタレントのエッセイを読むし、若いサラリーマンなんかは人生論を読んでいたりする。その人を判断するときに、本棚を見てみればいいんだよ、と誰かが言っていた。なんとなくそうかもな、なんてことを思ってる。文章の中で琴線に触れた言葉が金言、あるいは座右の銘となり、その人の心の一部となる。そうして作った心というものが、また読書という行為を求め、人格の一部を形成するんじゃないだろうか。そんなことを昨日ベッドにくるまっているときにふと思った。



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