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シーボの日記

アメリカてポスドクしています。

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手記 (2010.4)



2010.4.19 (Mon)

とある酒の席での一コマ。

「悲観主義者っているだろ、悲観主義者。人生の岐路、とはいわないまでも人生において何かしらの選択を迫られたときに一番最悪の結果を想像して、そうして考えすぎてストレスを抱えちゃう。自分が過去に起こした失敗だとか、その失敗が及ぼす人間関係だとか、うじうじなやんじゃってたり。そういう人ってのはある意味で楽観主義者でもあるんだよな。どうしてかって?だってそうだろ?最悪の事態を想定するのは自分が傷つきたくないから。最悪の事態を想定しておけばこれから起こる結果はまずプラスにしか起こらない。心に傷つく余白をなくしてしまって、そうしてなんとなく傷つかずに済んじゃう。自分を事前に傷つけておいて、なんとなく浅い傷で済ませちゃう。そういう意味で楽観主義者と悲観主義者は表裏一体なもので、両者のうt「うるせえばか」」


2010.4.12 (Mon)

午後は春の日差しにうたた寝を繰り返しながら、夜は爛漫と光るルームライトに照らされて本を読む。ここ数日の僕といえば本を読む以外にほとんど何もしておらず、ただひたすら活字を脳内に注入するだけ。適度なアウトプットというものがなく過剰飽和した脳内の言語は次第に僕の思考を痺れさせているような気もする。せっかくの休日なのだからおとなしく書を置いて座に伏し、ジャズなんか聴きながらリラックスすればいいものの、どういうわけか小説を読み耽る。それは一種の暇つぶしであって、一種の中毒症状であってかつ現実逃避であって、さらにスタンプラリーでもある。どんな喩えをしようとも行為事態はその他になく、過剰な言葉の注入による麻痺の感覚だけが強調されてきている。ふわりふわりと現実との乖離を楽しむほどでもなく、かといって悦楽の海に埋没するでもなく、僕はただ無心に紙を繰る。それはたぶん、きっと、そうなんだと思う。

2010.4.6 (Tue)

新年度になった。M2(修士二年)になった。いまのところ自己紹介をすると「M1です」とか口走ってしまうくらいにはまだ進級したことが実感として抱くことがない程度には4月馬鹿になっている。あれよあれよと学会が終わり、時間が進むのがとても早い。桜も満開で、そろそろ散るころだろうか。桜を見ると自然に微笑んでしまうくらいには僕の精神は単純だけれど、一種の憂いも感じるようになったのは、そしてそれを無自覚のうちに当然と感じるようになったのは、成長なのか、大事なものを失ったせいなのか。僕が得たものは何で、失ったものは何か。杓子定規の天秤に大切な者たちをbetしては、一喜一憂する単純な戯れに付き合ってくれる人がどれだけいるのだろうか。なにはともあれ4月。エイプリルフールにはすっかり嘘をつき忘れてしまった。じゃあ僕はいまから一つ嘘をつこう。ああ、今日はとても素晴らしい日だったよ。

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