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シーボの日記

アメリカてポスドクしています。

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手記(2010.5)


2010.5.30 (Sun)

 たくさんの人が僕の前を通り過ぎて行く。ある人は一週間で走り去り、またある人は二年の付き合いののちに消えてしまった。地理的に疎遠になる場合もあれば、精神的に遠くなる場合もある。記号化されたラベルが、携帯電話のメモリーとして残される。そのうちいくらかは、きっと通じるだろうし、きっといくらかは通じない。ただ単に記録として残されるのみである。
 人との出会いは魅力的だ。魅力的であるが故に僕は過去に出会った人たちを見失う。時折いびつな形として目の前に現れ、記憶を刺激して幽霊のように消えていく。ある人は僕の恋人として、ある人は善き酒飲み友達として、またあるものは単なる暇つぶしの相手として僕を選ぶ。ある役割を終えたあと、似たような役割を持った別の人が僕の役割を埋めていく。弾き出された僕は途方に暮れる間もなく新たな誰かと出会ってしまう。僕は誰のパズルのピースにもなりうるし、また彼らも誰かのパズルのピースに組み込まれていく。それほどに人生というのは不完全で、冗長性に満ちていて、とても巧くできているものだとも思う。
 運命、とはなんだろうか。僕らは簡単にこんな言葉を口にして、そのワードに含まれる日常的な陳腐さに辟易しながらも、それを信じていきているように思う。きっと運命だとか奇跡だとかそういう言葉は、うまく適合できないピースたちが、自分自身に課したルールのようなものだと思う。誰しもが大抵の役回りをうまくことなすことができる中で、自分に課したルールを飛び越えた人たちに執着し、大切に思い、ときには守り、ときには支え合い、ときどき罵倒しあったりもする。そういった執着があまりない人は自分自身が達観していると勘違いしてしまい、より孤独を深めてしまう。だから僕らは意識的にしろ無意識的にしろ、踊り狂う必要がある。アナタたちのことが大事ですよ、君のことが大切なんだ、愛している。ピエロのように踊り狂いアピールすることが現実を生き抜く上で大事であるのならば、僕は自分の心をずぶずぶとその処方箋の海のなかに沈める必要があるのかもしれない。


2010.5.25 (Tue)

昼の間は交通量の多いこの道は、夜になると車も、そして人も少なくなる。外灯がまばらに存在するこの道の右側に僕は佇んでいる。右を仰げば遠くに集合住宅の窓が見える。8階×20部屋はあるこの集合住宅の明かりも既にまばらになっている。どれくらいの時間この光を見ていただろうか。圧縮されたような、あるいは延ばされたような時間の感覚がぼうっと思考に靄をかける。さきほどの雨はもう降り止んだはずなのに。取留めのない感情を傍らによけて、僕はじっとその明かりを見遣る。深夜に差し掛かる前には確かに煌々と光を放っていた部屋が、時間とともにふっと消えて、闇に同化していく。意識を払っていないと気づかないくらい、その存在意義がこれまでなかったかというくらいに簡単に消える。ぼうっとそんな様子を見ていると、集合住宅が一種のボードゲームのように思えてきた。ある窓は白から黒に、ふとした瞬間にぱたんと変わる。ある瞬間に誰かが盤面から抜け落ち、もう二度と戻ってこないような、そんな錯覚さえ覚えてしまうほどに。きっと死というのも僕らの身近にいつも潜んでいて、僕が目を背けた瞬間を狡猾に狙って、僕の周りの人を闇へと引きぬいていくのだろう。今日は僕は運が良かった。僕の生活から巧みに隠蔽された死という存在が、今日はたまたま僕の視界に入ってこなかったのだから。深く、そして潔くため息をついてから家路に戻る。

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