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シーボの日記

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コンタクトレンズの功罪。



さあさ、今日も日記更新しましょうかね。



今日は一時間目の数学Bをブッチし、
二時間目の記号論理学もブッチ。



昼は自分で鳥のから揚げを作った。


つうわけで午後から大学に午後から出勤。



入学して2ヶ月で重役出勤て(´・ω・`)




そして3時間目。情報処理。





今日はUNIXのプログラミング。
シーボも初体験。


とりあえず、教官の指定どおりに進める。


なんとか成功。





似非パソコン通のシーボは情報処理のシケ対かつコンピュータ委員ということもあり、
結構多くの人に質問される。





(´-`).。oO( びくびくしながらの説明で乗り切りました。







パソコンができると結構人気者になれるのかもしれない。
個人的に勉強しておこうかな。








その後、4時間目、5時間目をブッチし、
下北にお金を下ろし(生活費)、渋谷に行く。




「元」田舎者シーボがなぜ渋谷にいったか。





それは、コンタクトレンズ作成と、プリンタを購入するためなのだ。







メガネ→コンタクトで大学デビューをはかるのだ!!(遅いって)






本当はテニスとか、合気道とか料理とか、ラーメン食べるときとかに困るからなのだが。





そんなわけで、メガネ屋さんへ。




問診表に記入し、眼科の検診を受ける。



そして、ハードコンタクトを入れてみることに。






女性スタッフ「はい、いきますよー」













・・・・・







・・・・・







ゴリッ







いてえぇぇぇぇぇぇぇっぇぇぇぇぇぇぇっぇぇぇぇえぇっぇぇぇぇ!!!!!!!!!!!!!









うぉぉおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!


















悶絶シーボ。
涙があふれてくる。








(=゜ω゜)ノ先生!ハンパなく痛いです!!!!!!








そんなこんなでハードコンタクトは断念。







次、ソフトコンタクト。




これは痛くない(*´・ω・)(・ω・`*)ネー






ソフトコンタクトに決定しますた。








次、コンタクトの脱着の練習。






女性スタッフ「目を左手と右手で開いて~♪」






(´-`).。oO( んん






女性スタッフ「惜しい!」





女性スタッフ「目を左手と右手で開いて~♪」





(´-`).。oO( これが何回続いたことか・・・






(´-`).。oO( 女性スタッフの声から苛立ちが感じられてきました








そんなこんなでナントカ装着。




んーまだ上手くできないけど、
コンタクトに変更=大学デビューだと信じるシーボはご機嫌よさげ。





意気揚々と渋谷のビックカメラへ。



生協で1万9000円で販売されていたプリンタが12000円で販売されていた。




(´-`).。oO( 生協、さすが詐欺・・・・






来年度東大に来る人も、今東大にいる人も、
生協でパソコン関係を購入するのは得策じゃありません。
秋葉原、せめて渋谷くらいまで出ましょう。





(´-`).。oO( まぁ、「グングングルト」の500mlが120円だからいいんですが
(´-`).。oO( CDも20パーセントオフだったり








品定めの結果、17000円のプリンタを購入。







(´-`).。oO( これで6月の生活費が・・・
(´-`).。oO( 一ヶ月1万円生活をはじめますか・・・





シーボは食費が結構かかる。
3万に抑えたいが、なかなかうまくいかない。





そんなこんなで帰宅。




ここでメールが届く。



シーボと同じ駒場東大前に住むクラスメートだ。





「悪いんだけど、ネットかしてくんない?」








そういうわけで、友人を我が家に招待。







今日の日記の更新が遅れたのも、彼がパソを独占してたからです。
いま、彼は一旦家に帰宅しております。






んで、シーボはというと、明日の英語1の予習をしております。



とりあえず難しい。というか量が多い。
和訳をコピペしておきましょうか。





S e s s i o n 05
「世界地図の作成」
Peter Whitfield


 

 1450年~1570年には、世界地図の形式について、古典時代の終焉以来最大の変革が起こった。だがこの革命が、単にヨーロッパ人の海を越えた探険の成果であるとみなすのは早計であろう。この時代には知的・技術的・政治的な原動力が全体として複雑に絡み合い、その1つの結実として「大航海時代」があったのであり、大航海時代が変革の原因となった訳ではなかった。これらの原動力は、中世の世界観を既に揺るがしており、一部についてはもう解消させてさえいた。
 伝統への挑戦は、まずはイタリア北部及びスペイン南部の海上貿易の拠点において、1300年頃以降に描かれた海図から始まった。これらの海図はその正確さの面で、他に先駆けていた。その様式は簡素であり、目的に適って機能的であった。それらは世界地図ではなく、南ヨーロッパの海洋にその範囲を絞っていたが、その明瞭さと実際の地理への肉迫とが、世界地図におけるヨーロッパの表象へも影響を及ぼさないはずがなく、遂には中世の世界地図の全般的な性格について、疑問が持たれるまでになった。
 変革への第2の原動力は、プトレマイオスの地理的な研究の再発見であった。写本が1406年に、印刷版が1475年以降に現れたことで、それらはヨーロッパの知性へと再び取り込まれた。地球を測量するという発想、ある地点の正確な位置が座標系の中で表わされるということ、球形である地球が二次元の平面上に正確な計算に基づいて投射されるということ、それらは15世紀の精神にとって大きな驚きであった。古典時代の学問的成果の復刻の流れの中で、プトレマイオスの地理学は権威を獲得していった。他の古典時代の規範が、文学や美術や哲学の世界で権威を持っていたのと同じように。プトレマイオスの地理学は、また別の意義を持つことにもなった。というのもちょうど時を同じくして、当時の美術界では、空間の中での相互関係について新しい認識が芽生え、三次元の空間を紙の上に秩序立てて再現することについて、積極的な取り組みが始まっていたためだ。
 これらの新しい原動力の非常に顕著な傾向とは、世界地図を世俗化し、宗教的な図像体系の支配から世界地図を切り離すことであった。だがそれらは全宇宙像を与えてくれるものではなく、従来の地図と違う領域に存在を許されたに過ぎなかった。mappa mundiと呼ばれた宗教的な世界絵図は、キリスト教社会に根強く残っていたし、海図は貿易と航海の道具であった。プトレマイオスの地図は、学者や王侯の書斎に置かれた。このように15世紀中葉の西欧には、全く異なった3種類の地図が共存していた。これら3つそれぞれの要素が合わさって初めて、充分に発達した世界地図が誕生できるのだった。
 同時代の政治や社会に対する世俗化への気運は、次第に顕著になってきた。人間の行動を、運命の女神の盲目的な力に支配された運命論的なものとみなすのが、中世の観念であったとすれば、ルネッサンスはこれに対して、人徳礼讃の考えを掲げた──、個人が自分自身の行く末を、自分自身の選択によって方向付けられる、才能や意志の力や価値観といったものを、時代は称揚したのだ。地理に関して言えば、魅惑的な外部の目的地、すなわち東方が、ヨーロッパの野望を惹き付けていた。マルコ・ポーロの旅行の回想記の影響は非常に大きく、その遥か彼方の地域について、ヨーロッパ人の好奇心と所有欲を刺激する文化と富を秘めたものとのイメージを確立した。その後、オスマン帝国が中東全体を支配したことが破りがたい障壁となり、海づたいというのが、ヨーロッパの外に出る唯一のルートとなった。船舶の機構、航海術や軍備の技術面での進歩が、ヨーロッパ脱出の前提となる重要な条件であった。3本マストの帆船、羅針盤、銃、これら全てが合わさって、観念上の世界と経験上の世界とが、相互に影響しあうことが可能となったのだ。
 1490年頃までに、地図作成者は、実測に基づいた新しい沿岸地図を、プトレマイオスのひな形と統合することで、断片的にだが世界地図を再現することが可能であると考えるようになった。だが1490年代の数度にわたる大西洋航海を経て、新しい発見の衝撃が、世界地図の範囲を劇的に拡大してみせた、そして地理空間をよりいっそう合理的に捉えようという試みが活発になった。今や投影の方法論が最重要課題であった。世界地図が、ヨーロッパの寄せ集めに毛の生えた程度のものに過ぎなかった時代には、投影のことなど事実上無視することができたのだが。だが既知の世界の範囲が爆発的に拡大してゆくかに見えた時、それを二次元の形で提示することは差し迫った問題となった。続く1490年~1520年までの期間に、プトレマイオスによるユーラシアの基本的な地図は、それと判らないまでに拡大され改変された。
 ルネッサンスのパラドクスの1つに、それが科学的な変革ではなかったというということがある。それは文学的、美的、政治的な変革であったし、他にもいろいろな意味を帯びてはいたが、ただ科学的ではなかった。プトレマイオスの再評価でさえ、文学的な出来事であった。それは古典的な学説の再発見であり、その内実は15世紀とは究極的には無関係なものであった。15~16世紀の地理に関する著述は、そのアプローチ法に於いて中世の著作と何ら変わるところがないのであった。この期間には、理論的にも実践的にも、いかなる研究基盤も新しく切り開かれることはなかった。天文学に関しては、宇宙を天球が組み合わさったものとする古典的な地動説モデルが未だ支配的であった。
 世界地図の違った投影法を叙述し分析した著作が最初に世に知られ出版されるには、1590年まで待たねばならなかった。実験と発見とは、幾何学ではなく地図そのものの中で繰り返されていたのだ。これは遠近法という新しい空間の感覚が、科学的に分析される以前から、視覚芸術の世界で試され習得されたことと平行している。活発で先取的な知の営みは科学に先駆けており、ロッセリ、ヴァルドゼーミュラー、デューラー、アピアヌスなどといった人々の手によって、世界地図は新たな形式に整えられた。この実験期間を経て、楕円形の世界地図が標準的となった。その知的な魅力の根本は、それが経度360度ぶんを、自然な外観で表示できることであった。
 だがこうした概念上の発展が、実務志向で保守的な船乗りたちの世界に影響することはなかった。この期間を通じて、いや実際には17世紀に至るまで、船員たちが使い続けたのは、非科学的な平面海図の類であった。こうした種類の地図は、数学上の投影に基づいて作られてなどはおらず、ただ簡単に緯度1度×経度1度ぶんの正方形なり長方形なりに等しく分かたれているだけだった。これらの海図は、地球が球状であるという事実を、結果的には無視していた。それらは狭い範囲を航行したり、海岸線に沿って船を走らせるには適していたが、大洋を横断するには致命的な欠陥を抱えていた。
 この期間にはまた、世界観の拡大に伴う論理的な結実もみられた。最初の地球儀の作成である。ところが、世界の模型としては地球儀の方が論理的に優れていたにもかかわらず、それが地図に取って代わることはなかった。作るにしても見て調べるにしても、二次元の紙の地図の方がより簡単であったし、地球儀は全世界を表現するというのに、概念上のごまかしもまたあったからだ。地球儀の難点とは、それが明らかにしているのと同じくらい多くのことが、そこでは隠されていることだ。世界地図の上には、謎のままのことなどないのに。
 ルネッサンスの科学は決して革命的なものではなかった、というのも知恵の源が完全に定義し直された訳ではなかったからだ。このことが意味しているのは、16世紀後半になっても、世界地図の各部分はまだ、完全に理論的でも、完全に実践的でもなかったということだ。典型的な世界地図のタイトルは、Cosmographia Universalis──、全世界の包括的な絵図といった意味であった。そのことは当時の人々には、可能な限り全ての情報源から知識を得たものとして理解されており、その情報源には未だ、過去の権威というものも含まれているのであった。ヨーロッパ人の思潮の中で、実践なり理論なりが、知識の源として過去の権威より重きを置かれるようになる瞬間は、未だ訪れてはいなかった。これら全ての力が、ルネッサンス期の学者および地図作成者の間でバランスを保たれており、知の営みもどうにかそれらと同調していた。世界地図の各部分は必ず実測によって得られた、検証に耐えうるものでなくてはならないという厳密な地理学の学説は、ルネサンス期の宇宙論者たちにとっては全く未知のものであった。客体としての地図の世俗化は確かにこの時代に起こったが、それでもなお、文学や伝説という伝統的な情報源から地図を切り離してしまおうものなら、地図の内容を乏しくしようとしていると思われたことだろう。具体的な特性と目的の伴った世界地図を作るという明確な目的を持って、数学上の原理を地図の作成に持ち込んだのは、メルカトルが最初であった。だがそのメルカトルといえども、ある意味では自らのことを宇宙論者と考えていたのである。というのも彼は、その時代の最新の発見とともに、伝統的な発想や伝説をも、意識的に提示していたのだから。このことが、16世紀の地図にもなお、前時代の遺産がやむことなく描かれていたことの理由である。南方の大陸などといった要素が相変わらず描かれたのは、プトレマイオスやマルコ・ポーロが、それを権威づけたためであった。
 そうは言っても、印刷の手段と、地図の商業的出版の開始とによって、地図は新たに統一的な様相を帯びてきた。世界地図は殆ど無限のバリエーションを示し続けるかに思われたが、根本的に異なる世界の形状の共存という現象は結局、写本文化に特有のものであり、その衰退とともに姿を消した。印刷術は否応なしに、地理の基本的諸概念を固定化したのだ。印刷術はまた、事実上の地図の言語を規定するという功績も果たした。文字の配置、起伏の表わし方、方位を示す羅針盤の図や線、風向き、海を表わすために刻み込まれる何本もの線、タイトル欄──、これらは写本による地図の時代には、どれも約束事のないままに使われていたか、或いは存在すらしていなかった。だが今やそれらは地図作成者たちにとって、繰り返し使われる、不可欠な要素となったのである。印刷術はまた、地図の民主化にも貢献した。欠かすことのできない地理的情報が、それを使いたいと思う全ての個人、団体、国家の手に渡ることとなったのである。
 世俗化の知的プロセスは、世界の地図を、宗教的図像から、実測的要素及び数学的要素の理論的構成物へと変容させた。印刷技術の発明の後に否応なく訪れた民主化の過程は、地図を更に、明らかに政治的かつ商業的な側面を持つものへと変容させたのだ。




ね?難しいでしょ・・・





まぁ、そんなこんな記述してるうちに、
友人が我が家に泊まることになりますた。
明日の朝6時におきてネットするらしい。ガンバ。






☆受験勉強編☆




今日は小ネタ。




ドラゴン桜というマンガの批評。




基本的にかなりいい情報を提示している。
メモリーツリーはかなり使える。
シーボは受験直前に「トランプ計算」を実行し、かなり計算力を上げた。


同意できない点は、受験生に「物理」「地学」受験を薦めていること。
これはかなり危険。
化学を履修していないのは、大学の勉強では致命的な弱点となる。
物理や生物は未習者用に講座が開講されるが、化学はまったくない。
しかも、化学の知識が要求される頻度は多い。



あと、理科1類は一番入りやすい科類ではない。
そんなに大差はないが、理科2類のほうが入りやすい。
ただ、理科1類受験者のほとんどは物理選択。
理科2類は生物と物理が半々。

生物と物理の難度変化の影響が受けやすい点では、安定して理1のほうが入りやすいのだろうが。
今年は生物が異様に簡単で、物理選択のシーボはヒヤヒヤした。



関係ないが、女子は生物選択が多い。
ウチのクラスの女子は10数人いるが、そのうち1人だけが物理選択。




まぁ、そんな感じなんです。


なにをするにも、「批判的な目」を持つようにしましょう。
シーボの日記に書かれていることも信じきってはいけません。
いろんな情報を取捨選択し、自分に有意義な情報にしていきましょう。


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