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シーボの日記

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路線図から見えるもの

上京して4年と半年以上が経過した。田舎に住んでいて盲目的に勉強して大学に入学した僕は、東京に出てきた。今でこそ○○駅に集合と言われれば目的地に向かうことができるものの、上京した当初はひどく困惑した覚えがある。そもそも実家である岐阜、市街からさらに川を隔てた郊外に住んでいた僕は、ほとんど電車を使った記憶がない。当然、駅まで片道500円近くのバス代を支払い、そこからさらに名古屋まで出ることも人生18年生きるうえでは幾度かあった。こと電車に関して特別に機会を逸していたというわけではないが、やはり僕のこれまでの生活の中で電車という存在は、お世辞にも身近なものではなかったのは事実である。

受験の折、上京した僕は山手線と中央線しか使っていない。そもそも地下鉄なんていう存在があるとは思っていなかった。ほら、JRの路線図にメトロとか載ってないじゃない。そんな網目のように張り巡らされた都内JRの路線図を券売機の前でじっくり見る自分が田舎者なんじゃないかと不審になり、疑心暗鬼になって心をひどくすり減らした覚えも、いまでは微笑ましい青春の一ページである。田舎というものはご存知のように、主な交通手段は電車ではない。ちなみに船でもない。馬でもない。車なのだ。そんな僕が上京して一人で東京に暮らすことになったのだから、家族の一大事である。母親はひどく憔悴し床に伏し、父親は母の介護で疲れ果て遺書を残してこの世を去った。弟は受験に失敗し、涙ながらに家業を継ぐことになり、親戚一同からの執拗な虐めを受けることになった・・・などと書くとどこかのケータイ小説のようで読む人全員涙のスペクタクルなのだろうが、残念ながら僕の両親は健在であるし、弟も無事大学進学を果たしている。家族はこれからもずっと健全であってもらいたいし、変態であるのは僕だけであって欲しい。あたし変態、みたいな。

話題がずれた。僕の大学の最寄り駅は渋谷から二駅、京王井の頭線駒場東大前駅にある。受験生だった頃にJRしか知らなかった僕もようやくその存在をしぶしぶ認め、下宿も決めた。最寄り駅は駒場東大前駅。またしても電車とは縁のない徒歩通学と相成った。とはいえ華の大学生活。入学直後にカップルになる、などというけまらしい人たちを尻目に、恋人のできない僕は着々と講義室からの歩が遠くなった。ちょうどこの頃は新歓の時期ということもあって、有象無象の輩がギラッ☆ギラッ☆と新入生(の女の子)を眺め、残念ながらひっかかってしまった新入生(の男の子)も具してコンパと称するリア充イベントを開くのが常となっている。東大生ともなるとコンパの場所は主に渋谷と下北沢である。どちらも駒場東大前からは二駅という好立地(そして家賃も高リッチ)な土地ではあるが、学生向けの街であることも確かだった。かくしてこの二つの駅は 「コンパの駅」 として田舎者の僕に刷り込まれたのである。クルッポー。


さて、ここまでイントロだというのだから、今回の僕は非常に辛抱強く文章を書く気でいるらしい。


その後も華のような大学生活、様々な人間関係のゴタゴタ、アクシデントがあったりして波乱万丈、目撃ドキュン、今風にいえば「エキサイティンぐぅ~」(ちょっと古い)な大学生活を送るわけも当然なく、大多数の大学生と同じように堕落した生活を送っていた。そうそう、東大生っつーのは堕落した生活送ってるようで試験前に本気だすから本当にうざ・・という話もまた今度にしておこう。兎にも角にもごくごく普通の大学生活を新天地である東京で送っていった。当然、年月の経過とともに思い出も増えていく。

たとえば錦糸町。サークル活動ではここのテニスコートをよく使った。新しい人間関係を築きつつあった僕。と同時にアフターなんかではこの街で食事をすることが多かったように思う。つい先日、錦糸町に行く機会があったのだけれど、三年前の懐かしい記憶が蘇ってきた。

たとえば三軒茶屋。一年生の秋に、塾講師のバイト先だった。初めてのバイトであり、精神的にかなり追い込む、もしくは落ち込んでしまったことが多い場所である。いまでこそこの駅に行くことは全くないけれど、三軒茶屋という駅名と、塾講師の思い出は対応しているように思う。

たとえば原宿。中二病ならぬ大一病の僕はぶらぶらと服を眺めにいったりした。駅前にいるジャニヲタっぽい人。コンサート直前にチケットを売るダフ屋でもいるのだろうか、そういった光景とともに、奇抜な人が多い街だな、と僕は思った。在学中に表参道ヒルズができた。出来て間もない頃に友人と二人で歩いたのも、懐かしい記憶である。


大学生活を送るに従って、浅草、明大前、吉祥寺、御茶ノ水、品川、横浜、弥生台、表参道、新百合ヶ丘、大宮、月島、高田馬場、巣鴨、根津、神保町、和光市、神楽坂、新宿、保谷、池袋、赤羽橋、お台場、上野、有楽町・・・それこそ挙げればキリがないほどの駅と思い出が対応していった。頻繁に使用する駅なんかはその度にイメージが修正されて、昔の思い出と組み合わさっていく。稀に再訪した駅なんかでは、しみじみと昔のことを思い出す。それは当然今でも続いていて、上京して4年近くたつ僕にとって、路線図は思い出が加わっていく白地図のようだった。もし自分が東京に生まれていたら、こんなことがあったろうかと思う。既に大学生になるころにはこの場所は思い出に「汚されて」いて、何も新しい感情が芽生えなかったんじゃないだろうか。東京という場所はごくごくありふれていて、大学生活もその延長線上にあって、人間関係のしがらみもできていたんじゃないか。それはそれで魅力的だと思うけれど、別の見方もあるんじゃないだろうか。田舎から出てきて、真っ白なキャンバスを与えられて「自分の好きな絵を描きなよ」なんてことを言われるような錯覚にさえ陥りがちな僕の思考回路は、大学院生になって変わったのだろうか。


そんなことを今日、電車の中で考えていた。ぼうっと路線図を頭に浮かべ、四年の間に描かれた思い出の地図を眺めてみる。こうして見てみると、もちろん全てが良い思い出なんかじゃない。嫌な思い出も、気分が悪くなる思い出もある。それでも一つ一つの駅名によって想起される思い出は悪いものばかりでもなくて、「ああ、これはこれでよかったのかもな」、なんて気持ちも湧いてくる。路線図を眺めたときに、ふと何か忘れかけていたものを思い出すその瞬間、僕は好きだ。

| 帽子の中 | 04:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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